2014/09/30
No. 25 「新 JIS 規格 津波避難誘導標識システムの 説明会のご案内です…」
思いつきラボ
2020/03/15
繊維業界は歴史が長く、また、川上から川下までサプライチェーンが長いため、立場が異なるだけで言葉づかいや慣習が異なります。 「思いつきラボ」では、繊維に関するちょっとした疑問や面白話などをご紹介します 。
※2020年3月15日時点の内容です。
3月11日 東日本大震災発生から9年の歳月がたちました。 2011年から9年と言いながらも まだまだ復旧 復興が充分に進められているという感覚にはなりません。地震災害だけでなく津波災害 原発事故が重なったためで住人の帰還が困難になったり 人口減少で街自体の存続が難しい状況に置かれた地域が多く残されています。そんな中でも再建に努めている方たちの活動が続けられて 少しづつ活気を取り戻しているところもあるという報道がこの時期には紹介されて安心する部分もありますが 今年は新型ウィルスの関係で追悼式典やら記念行事がことごとく中止になってしまいました。
公式行事やスポーツイベントなども中止で入学式や卒業式まで簡素化されている状況からすれば止むを得ない判断だと思います。新聞のコラムに震災のときに小学1年生の入学式ができず 義務教育最後の中学3年生の卒業式も新型ウィルスの影響でできなかった子ども達の記事を読んだ時にはやるせない気持ちになってしまいました。小学生の卒業式と中学生の入学式の思い出を大切なものにしてほしいと願う気になってしまいました。時刻(とき)のめぐりあわせなのですが学校生活で2度も大切な行事を体験できないとは・・・心が痛みます。
テレビや新聞報道ではしっかりとした特集が組まれていました。内容的には復旧 復興が主だったところで 津波映像や原発事故現場の当時の様子と併せての報道という印象でした。地震がきっかけで津波 原発事故を引き起こして重複災害となり 複合被害になったことで想像を絶する事態になってしまいました。3月13日に石川県 輪島市で震度5強の地震が発生しました。新型ウィルス拡散の上に地震災害が重なったことになります。災害は単独でなく重複災害になることもあるということを再認識しておく必要があります。
9年目のこの日までの東日本大震災の被害状況もアナウンスされていましたので思いつきラボでも掲載しておきます。
死者 | 15,899人 |
行方不明者 | 2,529人 |
関連死 | 3,739人 |
避難者 | 47,737人 |
※2020.3.10データ |
やはり未曾有の災害であることが判ります。9年経過してもまだ行方不明者の数が 2,529人というのも残された家族にとっては災害が終わることはないという気持ちも理解できます。津波災害 原発事故を引き起こした地震についてこの機会に振り返っておきたいと思います。2011年3月11日 震源場所三陸沖 マグニチュード M9.0 最大震度 7 という規模の地震でした。この地震が発生してから 3月16日までの 5日間で震度 5弱以上の地震がなんと15回も起きているのです。最初の地震の後に大津波が押し寄せたことと原発事故に繋がったことでその後の地震の印象が薄れてしまっていますが 短期間にこれだけの大地震が続いたことも非常に珍しい現象なのです。
日付 | 発生時間 | 震源地 | 最大震度 |
2011年3月11日 | 14時46分 | 三陸沖 | 震度7 |
15時06分 | 三陸沖 | 震度5弱 | |
15時15分 | 茨城県沖 | 震度6弱 | |
16時29分 | 三陸沖 | 震度5強 | |
17時41分 | 福島県沖 | 震度5強 | |
20時31分 | 岩手県沖 | 震度5弱 | |
2011年3月12日 | 03時59分 | 長野県北部 | 震度6強 |
04時32分 | 長野県北部 | 震度6弱 | |
05時42分 | 長野県北部 | 震度6弱 | |
22時15分 | 福島県沖 | 震度5弱 | |
23時35分 | 長野県北部 | 震度5弱 | |
2011年3月13日 | 08時25分 | 宮城県沖 | 震度5弱 |
2011年3月14日 | 10時02分 | 茨城県沖 | 震度5弱 |
2011年3月15日 | 22時31分 | 静岡県東部 | 震度6強 |
2011年3月16日 | 12時52分 | 千葉県東方沖 | 震度5弱 |
当時は地震に関する認識をことごとく覆(くつがえ)されてしまいました。まずマグニチュード M 9.0という規模の地震は 1900年以降の米国地質調査所( USGS )の記録でも 4番目の規模であること そして震源地が 200km× 500km で本震が 5分にわたって 3回大きな揺れを発生させているという政府の報道発表・・・いま振り返っても信じ難い規模ですが当時現実に起こったことなのです。規模が大きいことは有り得ることとしても 震源地が 200km× 500km というのはいままでの感覚にはないもので 震源地というよりは震源域とアナウンスすべきものと思ってしまいます。さらに連続で 3回位置を変えて 5分にわたった震源というのも今までの知識では考えられないものでした。
1900年以降のマグニチュード M 9.0 以上の地震
年度 | マグニチュード | 場所 |
1952年 | M9.0 | カムチャッカ沖 |
1960年 | M9.5 | チリ |
1964年 | M9.2 | アメリカ アラスカ |
2004年 | M9.1 | インドネシア スマトラ沖 |
2011年 | M9.0 | 日本 三陸沖 |
そして紹介した本震から 5日間(120時間)で15回も震度5弱以上の地震が起きていて しかもその震源地が本震の三陸沖とは異なる 茨木県沖 福島県沖 岩手県沖 長野県北部 宮城県沖 静岡県東部 千葉県東方沖 となっていること。当時の報道で「長野 静岡 千葉は三陸沖の余震とは別の震源でありますが 今回の東北地方太平洋沖地震(政府発表の公式名)に誘発された可能性は否定できない」とアナウンスされていました。津波災害や原発事故災害が被害を大きくしているのは確かですが そのもとになった大地震の大きさもあらためて思い起こしていただき この規模の地震が起こる可能性があるという認識でいていただきたいと思います。これからの復旧 復興が効率よく進められることを期待しております。
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